豪傑「後藤又兵衛基次」 について、いろいろと調べていく内にある疑問につきあたった。 それは、いったいこのおっさん本当は幾つで死んだのやろ?ということであった。 驚くことに彼は7回も死んでいるのである。 43歳死去 「姓氏家系大辞典」 45歳死去 「播州歴史散歩」 46歳死去 「豹皮録」「真書太閤記」「山田村史」等 52歳死去 「後藤琢三系図」 53歳死去 多聞寺位牌、「後藤系」 56歳死去 「後藤又兵衛尉政次伝」「大日本史」「日本歴史大辞典」等 60歳死去 「長沢聞書」「武蔵・又兵衛」 この内で最も有力な説は、56歳死去説であるそうだ。 内閣文庫本「後藤又兵衛尉政次伝」に「永禄三年庚申四月十日」とある。 しかし従来の諸説中最も多いのは46歳死去説だそうだ。 当時は数え年の計算なので45歳死去説も同様であろう。 しかしこの説は、後藤又兵衛が南山田城主であったという史実からみると、若すぎるそうである。 52歳死去と53歳死去説は、三男佐太郎の記憶違いに起因するそうだ。 また60歳死去説は、子供から逆算して親の年齢を推定しようとして、誤ったものだそうだ。 まあ当時は人生五〇年である。50歳より早く死んでは、少々かわいそうであるし、 また軍師職とはいえ、60歳で現役というのでは、当時としてはいささか老人かも知れない。


道明時の合戦
中央やや左の騎馬武者が「後藤又兵衛」
右の二人は山田十朗兵衛と菅沼七朗右衛門。