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貴方は
番目のお客様です。
私が、あの「後藤又兵衛基次」の末裔だと聞かされたのは、子供のころだったと憶えています。
しかしあの頃は、日本経済の成長期がおとずれ、外国の横文字文化の流入期でもあった為か、「またべい」ってかっこわるい名前、ぐらいしか思わず、その後何年もが過ぎさってきました。
あれから三十余年が過ぎ、一昨年父(後藤 章)が他界しました。
私が父の病状を知ったのは、父が救急車で病院に運び込まれた後でした。
大腸ガンでした。
そのまま入院となり、わずか二十日余りで帰らぬ人となりました。
父は自分がガンであると聞いたときも、顔色一つ変えませんでした。
ガンにむしばまれていたにも関わらず、一言も「痛い」と言いませんでした。
そんな父の遺品のなかから出てきたのが、
一片の詞でした。
「嗚呼大阪の夏の陣」 後藤 章 作詞
思い返せば、父は自分が「武士の末裔」であることに「誇り」を持っていたのでしょう。
今時は、「武士」もなにもあったものではありません。
しかし「誇り」を持つことは、すばらしいことだと思います。
亡くなる数日前、奇跡的に意識が戻った父。
その父に、私は病室の窓から外を見せようと、抱え上げた体の軽かったこと・・・。
父は黙って外を見ていました。しかしその目は遠くを見ていたようでした。
きっと父の目には、あの「小松山」がうつっていたのでしょう。
さて父の話はまた後ほどとして、
「後藤又兵衛基次」に話を戻しましょう。
最近2、3の方から「後藤又兵衛基次」に関する、私の知らないお話をメール頂きました。
その紹介をさせて頂くと同時に、何でも良いですから「後藤又兵衛基次」のお話をメール頂けませんか? ぜひここで紹介させて頂きたいと思うのですが・・・・。
「後藤又兵衛基次」 は何歳で討ち死にした?
「後藤氏」の家紋って・・・?
朝鮮の役におけるエピソード
「後藤又兵衛基次」が次男「左門基則」のエピソード
「吉村武右衛門」小伝
「後藤又兵衛基次」 の本を紹介
Thanks for watching!